最近は「不要なモノを捨ててスッキリと暮らす」という生活スタイルが美徳となり、モノを整理整頓することで心を整え時間を有効に使う情報が増えました。
その一方で、今は使う予定がないけれど困った時の生活必需品は揃えておきたい気持ちや、思い出の品は大切に保管しておきたいという気持ちを残している方も多いと思います。
モノを大切にすることは、決して悪いことではありません。
しかし、体力がある若い時であるならば、大掃除もできるでしょう。
動くことに体力が追いつかないこともあり、それが高齢者の問題の1つになっている「ゴミ問題」です。
それは「孤独死」ともつ繋がっていると言われています。
特に単身の高齢者が抱えやすい問題で、体調を崩してしまったり、ちょっとした段差で怪我などの老いが原因で、体が自由に動かせなくなって、家事やゴミ出しなどができず、結果、ゴミ屋敷になってしまい、体と心が「片付け」を放棄してしまうのです。
目 次
整理整頓ができない!我家の高齢者の状況と親の終活
高齢化社会を迎えた日本では、65歳以上の高齢者が人口の30%近くになると言われています。
我家の義父も今年で88歳・主人は60歳・私が57歳・息子達が30代前半という家族構成で、半同居状態で生活しています。
義父の家の近所(2件となり)に自宅を建築したので、食事はいっしょにするものの、日中は祖父は自分の家にいます。
孫がバタバタしているため、静かな時間が欲しい気持ちもわかるので、午前中スポーツクラブから帰ってきて、夕食までは祖父の自由な時間です。
4年前は夕食を義父の家に持って行ってました。
しかし、大きな問題が発生して、今ではほとんど同居状態になっています。
その大きな問題が「ゴミ問題」です。
姉妹サイトのブログを作っている最中だったので、高齢者や終活の勉強を終えてから記事にするつもりで写真を撮っておきました。
若い人にしてみると、「何で片付けないの?」と単純な疑問になるのだと思いますが、高齢者には高齢者の理由があるんです。
それをきちんと学ばなければ、違った情報を発信してしまったり、高齢者の気持ちに寄り添えないと思い、今日まで写真はアップしていませんでした。
高齢者の心理学と終活プランナーの資格を取得したのですが、実際は「明日の我が身」でもあります。
我家の義父は88歳でも、スポーツクラブでトレーニングをするほど元気で、私と同じような(苦笑)物忘れはありますが痴呆には至っていません。
性格は温厚で、時間に対しては時計の針のような義父が、なぜ片付けができなくなったのか…。
もともと汚す人ではありません。
どのようにできなくなったのか?
テーブルの上に、すっごくきれいに牛乳の紙パックと大好きな「ポン酢」の瓶を並べていた。
テーブルの下に焼酎の瓶がきれいに並べられていた。
普通の新聞とスポーツ紙をきれいに積みあげている(身長ぐらい)
ゴミ屋敷ほどではないですが、完全なゴミとなるものを“きれいに並べて”片付けとしているのです。
しかし、普通の可燃ごみのゴミ出しは、ちゃんとしているんです。
要は、「ゴミの分別」がめんどくさい…若しくはわからないのでしょう。
いつも私が出入りしている部屋はきれいだったので、不要物が溜まっていることに気がつきませんでした。
高齢者から親切心で日常の仕事を奪ってしまうと、痴呆が始まると思っているので、洗たくや掃除機をかけることなどは継続してもらっていました。
私は、高齢者であっても、自分でできることはできる限り自分でやる…という作業は、元気で生きていく基本だと思っています。
しかし、ゴミ出しは大変な作業になってきた。
不燃ごみのゴミ出しの日を忘れてしまって、そのことがきっかけで貯め込むようになったとのことでした。
私は嫁の立場なので、怒りませんでしたが、主人は情けない気持ちと掃除があまりにも大変だったので、不機嫌になっていました。
ニコニコと対応してあげたいと思うのですが、やはり貯め込まれてしまうと、どうして一言伝えてくれなかったのか…と思います。
それはそれで、義父も気を使っているのでしょう。
迷惑をかけたくない・頼み事をしたくないという、気持ちがあるのでしょう。
自分達に教育をしてきた親が、なぜできなくなってしまったのか?…と、寂しい気持ちがあります。
このようなことがあると、強制的にモノを捨ててしまったり、怒ったりしてしまいがちですが、それは未来の自分の姿や気持ちであることを考えるべきだと思うのです。
年を重ねたらその重ねた分の、モノに対する執着や体力の問題・物忘れが増えていく不安などもあるものです。
88歳の高齢になってくると、ひとりで片付けることは不可能です。
子世代が親の終活を行うのであれば、元気なうちに相談しながら片付けをしていきましょう。
私は、もっと早く気づくべきだったと反省しました。
親が生きてきた環境から生まれるモノの価値観
ゴミ屋敷のようになってしまうようなよほどの執着心がない限り、人はきれいな場所で過ごしていきたいのが基本なので、親の生い立ちや時代背景を考えて誘導してあげてほしいと思うのです。
私達の親の世代は、モノに苦労した戦時中の人か、高度成長期にモノを手にすることが成功した人生と思っている人か、モノが溢れて何でも手に入れられるバブル世代と、モノに対して3つの考え方をしている人が混在しています。
その時代によって、“モノの価値”が違うので、何でも捨てられる世代の私達が、高齢者の「もったいない」という言葉の重みを理解してあげることが必要だと思うのです。
そして、その世代の人が育てた子供も同じ価値観を持って生きていることを考えて、身辺整理について「なぜ整理整頓が必要なのか?」と理解してもらえるように話し合うことがとても大切です。
親の姿である「高齢者」という立場は、いずれ自分たちにも訪れることです。
自分たちに痴呆が始まったら、片付けは億劫になりますし、今までのような生活はできない上、論理的な思考ではなくなります。
そんな時、子供に言われる冷酷な言葉は、何よりも自分の存在が否定されたような気持ちになるのです。
廊下などの通路にモノが溢れていたら転倒の事故があるかもしれない…
地震や災害が発生した時に危険であること…
そして、ゴミ化した部屋を片付けるには、業者に頼むと数十万も費用がかかること…
「安全で気持ちよく暮らすことができる生活空間」の利点を告げて、子供は親を心配していることを心から訴えて、親の安全を確保しましょう。
親世代の気持ちと理解力・判断力・記憶力の低下を理解して片付けを!
パッパッパ!って片付けたい。
やはり散らかっている部屋は、大きなモノを処分することで気持ちがよくなります。
しかし、高齢者はそれと同時に寂しい気持ちにもなります。
高齢者の気持ちと理解力・判断力・記憶力などを理解して片付けを考えていきましょう。
何よりも、元気なうちに取り掛かることがポイントです。
片付けられる高齢者や片付けを手伝う側も、気力・体力・判断力が充分な時に、着手しておくべきと考えます。
はじめの1歩は、小さくで身近なモノで眠っているもので理解してもらうことが一番!
私の知っているひとつの例ですが、おばぁちゃんの嫁入り道具だった家具を、子供が帰省して急に処分し新しい家具を購入したことで、痴呆になってしまった話があります。
高齢者として大きな変化に慣れていないこともありますが、その処分されたタンスは他界したご主人との最高に幸せだった頃の思い出であり、おばぁちゃんの親が苦労して嫁入り時に持たせてくれた大切なタンスだったようです。
子供世代にしてみると、自分にとっては思い入れのない重くて邪魔なタンスで、そのタンスの中に入っている着物を着るわけでもないし…と、親切で軽いタイプのタンスと替えてあげたのだと思いますが、おばぁちゃんにしてみると、そのタンスがすでに他界しているご主人と親そのものだったのだそうです。
処分したその日は泣きじゃくり、翌日にぼーっとしてしまい、数週間で完全に痴呆になってしまったそうです。
高齢者にとっては、急激な景色の変化によって生活が変わってしまうと、その状況に理解や判断ができず、今回大切にしていたモノがなくなってしまったことで、記憶もなくなってしまったという悲劇です。
子供側としては親が暮らしやすいようにという親切心と、終活が推進されている背景が背中を押したこともあり、親の家の片付けを実行したのだと思いますが、親にとっては絶えられない程の悲しみだったのです。
親に良かれと思って大変な作業をしたのに、とても悲しい結果になってしまいました。
高齢者の気持ちと性格によって、様々な抵抗があると思いますが、生きてきた時代背景によるモノに対する価値観と共に、その人の性格も考えて整理整頓について向き合って相談することが大切です。
親世代の価値観を理解する片付けの方法
高齢になると、自分がイメージしていた親よりも弱っていることを心してほしいと思います。
“片付ける”という行為は、整理整頓の基本である、モノをしまう場所や位置を覚えておく“記憶力”と、不用品を捨てるという“判断力”が必要になります。
普通に話している限り問題を感じない高齢者の場合、そんなことは簡単にできると思いがちですが、私の義父のように、一部ができない…若しくは億劫になるなど、たまに記憶と判断ができなくなります。
義父は、今の時代ではポイポイ捨てられるティッシュペーパーであっても、年を重ねるごとにすごい貴重なモノ化してしまい、使用済みのティッシュペーパーは捨てて欲しいのに「まだ使える」と言います。
義父の子供の時に“紙は貴重なモノ”だったのです。
そういう判断基準が、高齢者にとって子供の頃の時代背景や環境の方が重要になってくるのです。
痴呆のはじまりなのか?…と、義父とよく喋っている近所の介護士の方に聞いてみると、全く元気でそのようなことで痴呆だったら、高齢者ほとんど痴呆になっちゃうよ…と言われました。
本人は片付けているつもりでも、全く片付いていないことが続いている場合は、認知症を疑ってみるようですが、持って行くのが大変だからきれいに並べていたという、高齢者だったら誰でもある、体力と気力の低下だというのです。
午前中のスポーツクラブのマシーンで3kmも平気で歩いていて、私よりも多く運動している人なのになぁ…と思いながらも、ゴミ出しがめんどくさいのであれば、それを手伝えばいいのだと思うようにしました。
このようなことは、私のようにほぼ同居状態という人ばかりではなく、遠い場所で年に数回しか合わない方たちにとっては、大変な問題だと想像できます。
そんな時、大きなモノの処分で環境変化をするよりも、はじめはいっしょに座り込んで、小さなモノから始めてみることをおすすめします。
高齢者のペースに合わせる整理整頓の具体例
高齢者との整理整頓のポイントは、親のペースに合わせてあげることです。
若い子世代と同じような体力ではないことも考えつつ、親の価値観を考えてみましょう。
いくら親とはいえ、勝手に捨てない、家具の移動をしない…ということは、マナーだと思います。
そして、使っていない大きなモノを処分したくなりますが、よく使っているところから片付けをすることをおすすめします。
例えば台所のモノが手の届きやすくなり、不要なモノがなくなることで、便利であることを体感してもらい、片付けを手伝ってもらうことで生活が楽しくなることを感じてもらいます。
はじめは捨てることに抵抗している場合は、「使っていないものを分ける」という作業にして、いずれ処分するであろうものをダンボールなどに入れて処分することなく、しばらく放置しておきましょう。
数ヶ月経過しても不便がなかったら、処分か売りに出すことを告げるようにします。
具体的に小さくて処分できるモノの例をあげてみました。
- 不要な書類やDM
チラシや、期限がキレている「お知らせ」・広告化している手紙(DM)・不要なレシートや領収書・資料して保管している書類や書籍・カタログなどを処分 - 役に立つかもしれない紙・箱・缶・容器
確かに紙袋・箱・缶は数枚あると便利ですが、使用しないで取っておくと増える一方なので、丈夫な数枚・数個は本人のために残して、あとはすべて処分 - いつか着る?洋服・靴・アクセサリー
物持ちの良い方は、若い時に着た洋服まで持ち続けているようです。思い出の1~2着は残してあげるにしても、他の着ることのない洋服・靴・アクセサリーは処分 - 贈り物・買い置きして賞味期限の切れているもの
食品で食べきれないものもあったかもしれませんし、まだ食べられると言うかもしれませんが、無駄だったことを伝えて処分 - 台所の不要なモノ
100均など日用品が安価で購入できたり、粗品などで溢れている不要なモノを処分 - 修理すれば使えると思っている壊れ物
故障したまま置いてある電化製品や日用雑貨は、修理できない理由・修理すると余分なお金がかかること・壊れ物があることは危険なことを伝えて処分
このように、はじめの片付けは、いっしょに座り込んで会話ができる雰囲気で始めましょう。
高齢者の性格によっては、一度に片付けすることを希望する方もいるかもしれませんが、変わった環境に対応できるかどうかの確認をしておくことも大切なことです。
そして、高齢者、誰もが素直に応じてくれとは限りませんね。
どうしても、片付けを拒否される場合は、残された若い世代の人に迷惑をかけることなく対策を考えて欲しい…。
それは、子世代の当然の言い分です。
今の時代は遺品整理をしてくれる専門業者があります。
1件50万円前後かかる費用の負担を、絶対確保してくれるように頼むしかありません。
できることなら、過去の思い出を共有して、片付けも良い思い出になるような時間にしたいものです。
親の流れる時間や体はゆっくりであること…そのペースに寄り添って、いっしょに片付けをしてくださいね。