私の理想としていることかもしれない…
でも、60年近く生きていると見えてくるものがある。
若い時、手柄を取られている人で立ち回りがちょっと下手な人だったけど、謙虚な生き方をしてきた人の方が、高齢者になった時にとても幸せそうに生きている。
人は名誉や立場に執着するけれど、年を重ねて引き際がわからないで続けていると、その姿がとても情けなく見える。
謙虚な生き方は、そこに嘘がなく、人を引き立てて自分も幸せを感じることができているのだと思う。
私は、そんな高齢者になりたい。
目 次
50代からは執着を手放してみる
年を重ねると、社会でも家庭内でも手に入れた立場があるのではないでしょうか。
人生の選択で、たくさんの岐路があった中で、振り返る自分にはこの道しかなかった…この選択でよかった…と様々な想いがある中で、試行錯誤しながら、苦しかった選択をしたこともあるでしょう。
だからこそ、やっと手に入れたモノに執着します。
人は一度手に入れたモノを手放すことは、負の行動と考え、社会的評価が高いという内容を勘違いしてしまいます。
そして、多くの人は人の目や評価を気にしすぎて、自分の道を見失いがちになります。
“執着”に踊らされてしまい、老いたときには手に入れたと感じる立場も人もモノも…自分の回りから消えていることもあります。
50代は、自分はこの道を歩むために生まれ頑張ってきたんだと、歩んだ道を否定しないで、長年の様々な“執着”を一旦手放してみるのに、とてもよいきっかけになります。
栄光浴を求めず人の評価から自由になる
『栄光浴』は少なからず、誰でも持っていると言われています。
「欲」ではなく「浴」という漢字が使われる心理学の言葉です。
それは、社会的に評価の高い素晴らしい人の繋がりを強調することで、自分の印象や評価を高め自慢などをすることで、自分の印象を操作するような方法なのです。
人の栄光で自分まで偉くなったように感じ、気分良くなる心理で、有名人と同じ出身校であることや、お金持ちの人と知り合いであることなどを自慢する心理も同じです。
自尊心が低い人や自尊心が高すぎる人に見られる傾向なのですが、自分自身に関する自慢できることが見つからない人や、自分をもっと認めてほしい…いかに自分が素晴らしい人間であるかを自慢したいという心理から生まれます。
自分ではない人の評価を利用して、社会ではいかせる場面があるのかもしれませんが、人生後半戦は、自分を大切に扱ってあげませんか?
50年も生きてきたのですから、人の活躍や財産・名誉で自分を自慢するような“栄光浴”や、人の目や評価を気にする“執着”を手放していいと思うのです。
今、あなたがいる。
苦難も乗り越えてきた。
あなただから、その状況を受けとめ、苦難の道を歩んでこれたということなんです。
人生100年時代の後半戦は、自分の楽しみを謳歌しませんか?
損得を超える行動に魅力を感じる
ずっと、損得計算をして生きてきませんでしたか?
仕事をしていると、少なからず売上利益の計算で赤字が出ない方法や、飲み会での支払いで取引先への接待後の見返りを期待するなどの選択をしてきたと思います。
それは会社だけではなく、生活をしていく上で誰にでもあることです。
50代以降、仕事から離れたのであれば損得計算をしていると、回りの空気があからさまに変わることがあります。
逆にあえて損と思われることを選べる人に、魅力が増すことが多くなります。
金銭的なことだけではなく、小さなことですが電車の乗り降りでも安全重視で「お先にどうぞ…」という心遣いが、人にとってとても心地よく感じるのです。
自分だけが“得”を勝ち取ろう、自分だけがよい思いをしようと考えてると、類は友を呼び、ギクシャクした関係をずっと続けていく…もしくは、人は離れていきます。
年齢を重ねていると「心に余裕が持てる人」…そんな人に魅力を感じます。
終活は心を整える「はじめの一歩」から
終活のはじめの一歩で、とても必要なことがあります。
それは自分のブラックな心を受け入れて、許す気持ちを持つことです。
私は父の病院を継がされる立場にあって、習い事は自由にさせてもらいましたが、とにかく成績が下がると脅迫されたかのように、「勉強の成績」に対して言われ続けていました。
理系の成績が少しでも下がると、場所関係なく非難され恥ずかしい思いをしていました。
母親は、子供が自分の思い通りにならないと、ヒステリーになるタイプで、子供に言ってはいけない言葉を平気で言う人。
両親が他界した今…
そして私自身が60代に差し掛かる今、その親の気持ちがわかるようになりました。
苦労した築き上げたモノを、子供にあげたいという気持ちだったのでしょう…
子供に苦労をさせたくない気持ちから、言っていた言葉だったのでしょう…
でも、当時は本当に苦しかったです。
そして、私が友達との会話で、すごく不快感になるのは、同年代の女性の集まりで盛り上がる話。
ご主人や奥様、自分の子供の相手、つまりお婿さん・お嫁さんの悪口です。
相手の文句を言うのであれば、相手も同じようなことを感じているものです。
自分も変わらなければなりません。
婿嫁の悪口は、自分の子供が選んだ相手であり、自分の子供も同時に非難していることになるし、未熟な若者に対して年を重ねた人間か導く努力をするのではなく、はじめから否定している様子は、悪口を言っている自分自身も未熟であるということだと思うのです。
そんな気持ちも、終活のはじめの一歩で振り払っていくことで、双方が心地よく生きていかれるのではないでしょうか。
人生を歩んでいると親や身内・他人に対して、許せない気持ちのひとつやふたつあります。
若い時はその気持を糧に頑張れることもあり、ブラックな気持ちは反面教師としてエネルギーにもなります。
気持ちの中に善と悪があるのが「人間」です。
50代になり人生後半戦、自分の親を恨んだり、上司や同僚・友達が憎かったりする入り乱れる気持ちも整理しましょう。
負の気持ちをリセットして「許す」ことで、人生後半戦をスッキリとした気持ちで心を整え、“はじめの一歩”をスタートさせる終活にしましょう。
謙虚さを持ち合わせている生き方
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
多くの人が知っている「ことわざ」ですね。
稲の穂が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人間も学問や徳が深まるにつれ本当に偉くなればなるほど謙虚になり、小さな心の持ち主ほど尊大に振る舞うものだという例のことわざです。
中途半端に大物とされている人は、傲慢で威張りくさり、人に不快感しか与えません。
紳士的な態度で謙虚な人は自己承認欲が抑えられ、全体を見る力があるのがわかります。
尊敬を集められている人物は、謙虚さを持ち合わせ、本人はそのことを意識している様子もなく自然に立ち振る舞っています。
「謙虚さ」なら自分にも身に付くことなのではないか…と思っても、実際は意識して簡単に取り組めるものではありません。
自分自身は至らないものと思い、謙虚な姿勢になるよう自らの心を律していくことが大切です。
私は謙虚である高齢者になっていきたいなぁ…と思う…。
じっくり考える過渡期が、50代。
そろそろ肩の荷をおろし、様々な執着を手放して、社会や他人の評価から自由になり、心を整える終活をしていきませんか?