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人生の身支度を考える時はどんな時なのか
“終活”という命名がつく前から、人生の身支度をしている人は多くいると思います。
定年退職を迎える前には、次の人生をどう生きるかという岐路を考え、子供が独立していれば大きく人生も変わっていきます。
自分のための“時間”を、いかに生きていくか…
しばらくのんびりしたい…それも、選択のひとつです。
しかし、子孫に大きな問題を残してしまうことは、避けてあげたい…
それは、人間必ず訪れる“老い”や、老人に多いゴミ屋敷にならないための対策など、残された人が困らないようにしてあげたいと思うのです。
突然の家族の死で直面する様々な問題
私は実家の先祖と、嫁ぎ先の先祖の両方を守らなければならない立場です。
その両家の宗派が違う場合、ご仏壇をどうしたらいいのだろうか…
そして、10代で父親が他界したとき、父の稼業であった病院の跡継ぎ問題やその経営状況など、さっぱりわからなく苦労しました。
死亡保険もどれだけが稼業の借金に充当されていくのか?
母や私はどうしたらいいのか?
父のお墓は、代々受け継がれていくものを、父の故郷に建てられていたのですが、当時は途轍もなく遠いところに感じられ、お墓参りにも行かれないと思って分骨するべきなのだろうか?と、悩みました。
でも、先祖代々の墓はどうしたらいいのか?
問題が山積み。
そして、嫁ぎ先の宗派の違いから、自宅にどちらのご仏壇も用意しないまま、時が経過しています。
父も私が10代の時に他界するとは思わなかったと思うし、お墓も用意したのだから…とはいえ、残された者にとっては大きな問題を残された気持ちでいます。
私は今、父が他界した年齢を超えています。
いざ自分がその年になってみると、50代は人生を大きく変えていく年齢であると、つくづく思います。
人は病気だけではなく、事故や天災などでいつ他界するがわかりません。
そんな話を知人としたとき、「人生、なるようにしかならない」と言っていました。
そう…なるようにしかなりません。
でも、残された者の苦労は半端なく苦しいのです。
軽減できるものであるならば、やはりちゃんと整えておきたい。
事を起こすごとに、お墓参りに行かれない…ご仏壇に手を合わせられない…家やお墓・お仏壇を処分する場合、はじめは罪悪感があります。
果たして、本当に処分してもいいのだろうか…と…。
結論を出すまでには、時間を要します。
自分の人生の選択は自分でできますが、親族が残したモノの扱いは、他界した人の意思を尊重しなければ申し訳ない気持ちになります。
そんな時、残された者の気持ちを考慮された“意思”を残してくれていたならば、どんなに行動しやすく軽い気持ちになれるでしょう。
私はこのままお墓やご仏壇の問題を残してしまったら、息子たちにその苦痛を残すことになってしまうので、“終活”をしました。
先祖の墓じまいや、残ってしまったら困るものは、自分の意思で処分することで、もし自分の身に何かあったとしても、残された者に苦痛を残すことはありません。
人それぞれ置かれた環境は違うと思います。
自分の終焉後を整えておくことで、後世の人に大きな問題を残さないで済むのであれば、終活で伝えるべきことを伝えておきたいと思うのです。
そしてすっきりした気持ちで、その後の人生を謳歌していきませんか?
終活を意識するときはどんな時?
死後に残された者に、意思を伝える方法として終活という言葉が、とても表現しやすいと思っています。
今までも「遺言」というかたちで、自分の意思を表すことはありましたが、それは相続に関係することが多く、生前に準備してある生命保険や預貯金などの財産だけではなく、自分の死後にはこのように様々なことを処理してほしいという意思を伝えるきっかけがなかったように思います。
子ども側としては聞きたくても、“死”に関係することは避けてしまうのが心情です。
話しにくいだろう…自分も親の時には苦労したと思われる方は、若くても“終活”はしておくと、残された者はとても助かると、想像できると思います。
50代は人生の岐路とも言える、仕事を今後どうするのか?ということから、老後を意識していくと思います。
そして、50代に突入すると、知り合いが他界したり病気になったという話を耳にします。
入院するとお金がかかった話からお墓まで…
私の友達のお父様は、入院のための保険に加入していなかったので、高額医療費制度で払い戻しされるまで苦労した話。
通帳がどこにあるのか?果たして入院したら、その費用はどうするの?…と。
とりあえず立替して支払い、後で本人に返してもらったそうです。
※高額療養費制度-医療機関より請求された医療費の全額を支払ったうえで申請することにより、自己負担限度額を超えた金額が払い戻しされます。
予定していたお墓は親族の墓で、自分で建てたお墓ではないために定員オーバーで入ることができないことを後で知った話…
親族の墓に入るのは当たり前と思っていても、その墓地の事情で入れないこともあり、急に残された者が用意をしなければならなくなります。
生前に調べて意思を伝えておくことがとても大切で、急にお墓を建てるとなっても、金銭的な負担は大きいですし、子供達に頼ろうと思っても、自分たちの生活で精一杯なので、親の老後まで見る余裕などない方が多いと思います。
または、友達や自分の若き日に大好きだった芸能人が、次々他界していることを、わが身として不安に感じるということも、気になる方が多いようです。
介護を必要とした親に準備金がない!本人の意思がわからない
誰もが介護が必要になる自分を想像したくはないと思います。
しかし、自分の身にも十分にあることです。
ホテルのような豪華な老人ホームで悠々自適な生活ができるのは、一部の人の話ですし、自分自身が用意しなければならない“お金”の問題です。
自分のできる範囲の準備と、それに似合った意思を残しておくことは、自分から伝えておくことで、残された者はとても安心できます。
このような問題が一番質問しにくいことだからです。
自分の老後を考えた時、延命治療をするのか?介護が必要になった時、どうするのか?…その時を想像して、自分だったら…という意思があるのであれば、伝えていくという作業のひとつとして“終活”を意識するのもひとつの方法です。
自分が元気で判断力があるときだからこそ“終活”を!
終活は元気で判断力があるときに考えることが理想です。
例にすると、日本人女性の平均寿命は86歳で、健康で日常生活を送れる期間ですが、そのうちの平均して約13年ぐらいは介護が必要な期間です。
昨日まで元気だった人が、突然病気などで意思疎通ができなくなることがあるのです。
終活は“自分の死”を意識しますが、未来を心地よく過ごしていくためのものです。
私の母は25年ガン治療をしている最中、変形性膝関節症を患ってその部分にガンができたことがきっかけで車椅子の生活をしていました。
入院を望まなかったのです。
しかし、モルヒネや抗がん剤の副作用で幻覚を見るようになりました。
痛い!痛い!…と苦しんでいたので、医師と相談の上「痛みを除く治療」に変更しています。
母が、私に望んでいた治療法です。
もし、その意思を聞いていなかったら、私は延命治療を望んでしまうし、痛いという言葉を常に耳にしながら、治療の方向性に悩んでいたと思います。
このように、実際質問できるような状況ではなくなった時、判断材料として本人の意思がある判断を下せるのは、母が他界し残された私にとって、その後とても大きな支えになりました。
良かったんだ…と思えることは、とても大切です。
自分の未来のため“幸活”に繋げる終活
病気になったら…葬儀やお墓は…と、自分の意思を残しておくことで、自分の大切な親族や家族・子供の負担を減らすことできます。
人生100年時代に突入するにあたり、先が長い人生を安心して過ごすことができる…と、捉えてみましょう。
本当にやりたいと思っていたことや、家族のために生きてきた時間から自分のために生きる時間へと、シフトチェンジしていくことができるきっかけに
することができます。
終活は、安心して幸せになるための活動…“幸活”であると思います。
“幸活”は、幸せになるための活動ですが、今までは子供の成長や会社での立場などを背負って生きてきた方も、今度は自分のための“幸活”に繋げてみましょう。
他人に依存していると(特に孫)、結果も他人に委ねることになり、相手にとっても不幸なことですよ。
終活は、人生すっきりと生きていく術で、部屋の掃除が一番多くはじめるスタートだとも言えます。
余計な贅肉をそげ落とすかのように、掃除をし始める。
身支度をし始めると、気持ちが良いという方が多く、先の人生をプラスに考えていく思考が生まれていくようです。
人は何かチャレンジをするときに、何かの区切りがあると、前に進みやすくなるものなんですね。
あなたが抱え持っている何かを吹っ切り、自分のチャンスを作って、想いを未来に向けて歩むのが私が想う“終活”です。