終活の先にある未来「余暇と貢献」を考える!
はじめに…
余計なしがらみがない自由時間の使い道は?
まもなく80歳になる方が、「つまらん人生だった」と言った。
私はその高齢者に「それをつくったのはあなた自身です」とは言えませんでした。
企業戦士として働き、日本を支えてきた方…。
でも、そのような方が、どうして「つまらん人生」と思ったのでしょう。
頑張って家庭を支え、高度成長期を支え、日本を支えてきた…
誇りを持ってもいいのではないかと、私は思っています。
長い時間その方と話をしたのですが、その方の特徴は、「用意されなければ動けない人」でした。
旅行に行くもの、楽しみを見つけるのも、自分でアクションを起こすことがないのです。
会社では、次々とテーマを与えられ、仕事は日々追ってきます。
でも、自由になってしまうと、誰も何も指示をしてくれません。
会社一筋で必死に走ってきた人ほど、余生への不安は募っていきます。
会社一筋で指示待ちの生き方にすっかり染み付いた人をターゲットにしたビジネスも多く、そうじの仕方や料理から釣りの仕方など、余生のための予備校までサービスされている時代になっています。
団塊世代にお金を使わせるための壮大な仕掛けで、私が会社を経営している時から、多くの人から「ビジネスチャンスなので共同経営しませんか?」というお誘いがありました。
それだけ、多くの人が「余暇の楽しみ方」がわからない…ということもあるのでしょう。
夫婦の接する時間が増えることで、トラブルが生まれることもあり、奥様にとっても、そうじの仕方や料理などをご主人が学んでくれるのは助かることなのかもしれません。
他人とかかわることも大切であることから、「◯◯教室」であることに意味があるという考えです。
やりたいことがないのでれば、それもいい!
定年や現役引退を迎える時期になると、第二の人生こそ、やりたくてもできなかったことをやるべきだ…とか、本当の自分らしい生き方をするとか、「目標」や「生きがい」をみつけるということが当たり前のように語られますが、すべての人が同じことを思い描いているわけではありません。
やりたいことがなく、余生をゆったりと静かにすごしたい…と思っているのであれば、それもその人の選択だと思います。
誰もが旅行に行きたいわけでもないですし、映画や芝居が好きなわけでもありません。
付き合いでゴルフ三昧をしていましたが、それは接待であり、好きでしていたわけでもない…。
定年後の生き方のような情報は「趣味をみつけよう」とか、「ボランティアがいい」とか、「田舎暮らしが気持ちいい」とか、様々なことが書かれていますが、すべての人に当てはまることではないですし、思い描いてものと違って選択を誤ったとさえ感じている人もいます。
社会に反し他人に迷惑をかけなければ、今までがんばってきたのだから、自由な時間はせめて人に強要されるものであってはならないと思っています。
しかし、今までの人生を振り返った時、「つまらん人生」と他人に愚痴ってしまう、後悔をする選択ではないのかと自問自答してみて欲しいのです。
本人は健康で子供達もお正月やお盆には、孫を連れて遊びに来てくれる…
家族が健康で、自分も健康…存在をちゃんと感じてくれて、様子を見に来てくれる…
健康と愛情に溢れた状態で、本当に「つまらん人生」なのでしょうか…
私は以前の仕事を退いた時、ゆったりと静かに過ごしたいと思っていましたが、現在の大家族の環境下ではそれはできません。
でも「心が整っていく日々」であることは、感じられました。
のんびりと静かな生活をしたいと思っていたのは、更年期障害で苦しんだ3年間だけでした。
長き人生の前半の様々な経験の中から、できなかったこと…してみたかったことが湧いてくることもあります。
人生後半は…どう生きていこうが、それこそ本人の自由なのです。
しかし、24時間何もしないで、出てきた朝食を食べ・昼食を食べ・夕食を食べ…つまらん!とお小言…と、家族の心労を感じず愚痴って好き勝手することは、家族があなたへの愛情が薄れていくだけです。
それは逆の立場でも言えることで、家族のために働いていた人が老後に何をしたらいいのかわからないのであれば、家族として向き合うことが大切です。
余暇と貢献…何をしても自由
仕事をはなれて、自分の好きに使える時間…「余暇」
計画的なイベントとして、旅行やお芝居など、人それぞれ出かけることが楽しい人もいるでしょう。
苦手だった絵画だったけど、墨絵でもしてみようか…と、学校のように採点をされることなく、自由に描くこともいいでしょう。
その余暇の中に、今まで経験してきたことを生かすことも、選択のひとつだと思います。
その選択が小さなビジネスにつなげる人もいるでしょう。
誰もが、ずっと余暇を楽しみたいと思っているわけではなく、まだ社会に貢献できる“仕事”をしたいと願っている人だっているのです。
年金の満額支給でも、自分の自由生活を守れないと感じる人もいるでしょう。
老後の生活不安や健康不安を考えると、元気なうちは働きたいと願うことも、ひとつの生き方です。
生涯現役と仕事が生きがい…社会への貢献をしていることで“幸福感”を感じることができるのであれば、そんな幸せなことはありません。
金銭的不安からの仕事であろうと、今まで培ってきた知識や経験というスキルは、必要とされる場所があります。
そして、誰かのために役立つことができるという“存在感”など、自分が得たい気持ちを、定年と共に失うのはとても惜しいことです。
定年後も働く場合は、給料やポジションも大幅に下がりますが、それに納得できず不満であればやめる方向で考えてもいいのが、人生後半です。
今までの会社での肩書はリセットされるのです。
大切なことは、自分の立ち位置を確認して、その後の頭の切り替えです。
身の丈の合った、やりたいこと
豪遊するような暮らしができる資産を持つこともなく、年金を100%当てにした生活の中での余暇の楽しみ方は、できることも限られています。
友達がやってるから…という「お付き合い」は、家庭破綻にも繋がります。
現役の時は、義理やしがらみを断ち切ることは、とても難しかったと思います。
余計な義理などは、定年以降は控えるようにして、自分が大切にしたいモノゴトを重点的に考えてみましょう。
社会的地位・仕事・人間関係が現役引退をした時点で、一度リセットすると大切なモノゴトが見えてきます。
身の丈に合わない“やりたいこと”には、本人にとって不幸な結末があります。
定年後は誰でにも遠慮することがない「自分が主人公」でモノゴトを考えてもいい“人生後半戦の二毛作の時期”
その中で、ないものねだりをしても仕方がありません。
定年だから…というだけではなく、人は身の丈にあった生活を踏まえ、幸せは自分で創り出すものと感じていると、シンプルな思考になり、自分にとっての幸福が見えてきます。
終活の実践
漠然と「定年以降、幸せに暮らせたらいいな…」と考えていると、すぐに時間が経って眼の前の問題になってしまいます。
定年後の人生でも、家族間の問題や金銭的な問題と、トラブルは勝手にやってきます。
人生二毛作で、余生を自分の自由で生きていくためにも、一度じっくり書き出してみると心とモノと生き方の整理ができます。
残される家族がいる人は、その人のことも…
ひとりでゆっくり生きていきたい人は、その後の整理も考えておくことで、動きが自由になります。
残された問題が山積みになっていると、自分の行動にも制限されることが多いので、「終活」を実践してみましょう。
人生二毛作!と感じられる様々なこと…
試行錯誤していることさえも、楽しんでいただけたらと思います。
「終活」で未来を見つめられる情報を、当サイトでお届けできましたら、幸いです。

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